2025.09.01

生ききる ~死は苦しいのか?~

船戸 崇史

毎年お盆の時期と言うのは、本当にあの世の窓が開くように感じます。先祖が近いんですね。当院でも、クリニックで関わらせていただいている患者さんがこのお盆の1週間で5人旅立た
れました。お盆は逝くのに丁度いいのかもしれません。
 当院では毎週木曜日の在宅カンファレンスで、この1週間で亡くなられた患者さんへの追悼を兼ねて、関わったスタッフから一言思い出や気付きを話してもらっています。ここでは関わらせていただいた当院のスタッフから色々な故人の知らない姿をお聞きします。多くは本当に良く介護されたご家族の姿です。でもそのたび思います。
 このケアを引き出されたのは逝かれたご本人なんだな~と。
 故人を大事に大事にされたご家族・・それは、ご家族を大事に大事にされてきた故人がいた証(あかし)です。一方、本来家族や身寄りがあるのに最期の時になっても誰も集まってこな
い人もおられます。これもまたその人の生き方の証であることが多いんですね。大事な事は、平素の思いやり(愛)ある言動は証として還ってくる・・という事ですね。
 そして、過日そうした場を経験させてもらいましたので、それをご紹介いたしましょう。
 お盆に帰還されたお一人の魂からのメッセージです。

Tさんの最期
 先日亡くなられた90歳の認知症のあるTさんという女性。それはそれは子供孫から大切にされていました。いよいよ時間がなくなってからも、いつも誰かが添い寝をされていました。見るからに大事にされていたお方なんだな~と感じずにはいれません。その人が、お盆が近づくにつれて、部屋の出入り口を指さして、すでに亡くなられているご主人の名前を呼ばれるようになりました。お迎えだと思いました。ご主人が天国の窓から来られているのでしょう。これは「近いよ」サインだと思う、とご家族にお話ししました。
 そしてTさんの状態は日に日に低下され、全く食べられず寝たきりで、呼びかけに反応なく意識状態も低下、排尿もなくなってきました。経験上、尿が出なくなってから数日です。もう時間がありません。
 しかしこの期に及んでやや心配が出てきました。
 Tさんはよほどご家族に愛を振りまかれたのでしょう。果たして最期、ご家族はTさんを手放してくれるだろうか?しかし、間違いなくお迎え(亡くなったご主人)は来ている。時間はない。
 そこで私はご家族にお話しました。
 「すでにご本人は意識なく、肉体的な辛さがある様にはお見受けできません。きっともう肉体から抜けたり入ったりでこの先の準備をされているかもしれません。ここ最近のご家族のご様子を見せていただくと本当に大切にされた人なんだな~と感じます。でももう時間がありません。それでこれからの注意点をいくつかお話いたします。人はいずれ1回は逝かなくてはなりません。きっと間もなくTさんも人生というマラソンのゴールテープを切ることになるでしょう。そこで、大事な声掛けがあります。Tさんは大切な人だけに皆さんが『死んでほしくない』と願われているのはひしひしと感じます。でも死期(とき)は来ています。点滴と医療介入しないと死ぬと言いますが間違いです。人はときが来ると抜ける様になっています。ですから、ぜひ『ありがとう。あとは任せて』と、そう申していただきたいのです。この言葉は、『おばあちゃんのバトンは受け取ったよ』というこれからの人生の時をおばあちゃんの子供として孫として生きていくよ、と言う宣言なんですね。私は引導と言っています。間違っても『頑張って、死なないで』は言わない。
 それと、極力Tさんが心配していたことがあれば、それもすっきりさせること、思い残しないことも重要ですね。何かありますか?」するとTさんの息子さんと娘さんが、それぞれ子供さん(Tさんの孫)が1人ずつおられたのですが、指さして「そういえば、おばあちゃんが孫がまだ結婚しないと言っていた・・」と言われました。それが気がかりだと。私はそこにいる2人のお孫ちゃんと、ご両親、そしてTさんに向けてこう申し上げました。「なるほど。気になりますね。きっとおばあちゃんだけじゃなくて、ご両親もでしょ?でもね、それは、お孫ちゃんたちが考えることです。気になることかもしれませんが、どうかご安心ください。きっとお孫ちゃんたちはおばあちゃんやご両親の様にしっかりされているはずですから、孫に任せましょう」そしてそこにいた2人の孫にも「そうだね?」と目配せしました。
 「耳は最期まで聞こえると言います。どうぞ、今まですでにいろいろな感謝などお話されたと思いますが、これからもTさんとの思い出話を感謝と共にして差し上げてください。持っていけるものは思い出だけだと言います。間違いなく一部の形見以外は全て燃やされます。身体も。ですから、Tさんへ今生すべての感謝と自分がバトンを受け取ったよという決意の表明として『あとは任せて』を申し上げて欲しいのです。すると、Tさんはすっと抜けて逝かれますから。よろしいですか。すでに尿が出ていませんしご高齢ですから、きっと数日以内だと思いますが、思いが聞き届けられれば早い で す。」
 私はそう言ってその場を離れ、次の往診先へ向かったのでした。でもあれだけ、大事なTさんを本当に手放してくれるだろうか?という一抹の不安はありましたが。施設を出て車に乗り込み、5分もしないうちに携帯が鳴りました。
 「院長、今Tさん心肺停止されました・・!」「え?・・はやすぎ・・?」私はすぐ戻りました。
 部屋に入ると、娘さんがこう言われたのです。「先生が出て行かれてから、すぐに呼吸が止まったんです。で、看護師さんに見てもらったら、心臓も止まっていると・・」ただそのご家族の表情が明るかったのです。特に孫は。私は伝わったと思いました。
 心肺停止と瞳孔散大を確認し、死亡時刻を確認し「〇時〇分、立派なご臨終です」と告げました。続けて「でも私がTさんを死なせたわけではありません。最後の最期、ご家族が大事なおばあちゃんだけど、ありがとう、あとは任せてというお気持ちになってくださったんじゃないかと思うんです。それがTさん分かったんですよ。伝わったんですね。だから、『じゃあ、あとは頼んだよ』とお迎えに来ていたご主人と共に逝かれたんじゃないかと思うんですね。素晴らしい。本当に立派な大往生です」
 Tさんがご家族を思い愛されてきたその思いが家族を通してご自分へ還ってきたんじゃないかと思いました。愛は人の為ならず。この先きっとご家族はTさんの遺志を継がれ愛蒔く人になられるのではないでしょうか。心よりTさんのご冥福をお祈り申し上げます。

死は苦しいのか?
 さて、ここからいずれ来る皆さん自身の旅立ちの覚悟として今回はぜひ知っておいてほしい情報と提案を書かせていただきたいと思います。
 情報とは今まで当然なことでありながら気付かなかったことです。
情報)死の瞬間は苦しいのか?
 この不安は、一度は死を考えたことのある人なら分かると思います。死への不安の具体的な内容です。苦しいと思うと不安が恐怖に変わり逃げたくなります。すると死の縁において心穏やかに過ごすことができませんね。
 まず私が思う回答か ら 。「 死は苦しくない、痛くない、辛くない」。 と言い切れます。これは間違いありません。なぜでしょう。下の図1をご覧下さい。


図1 死は苦しいか?

 基本的に人は死ぬときは死より先に意識がなくなるようになっています。死ぬのは仕方ない、でもどうやって心臓が止まりどうやって呼吸が止まるかと思うと不安で不安で仕方ないと言われる人がいます。それは、過去の大切な親族や友人の死を第三者として体験した事が原因です。その最期の様子を観察し続けると、まさにこの死の瞬間・・大切な人を亡くす辛さと相まって、不安が助長され「死ぬのは苦しそう」と妄想するわけです。
 しかし、人間の仕組みは、自分の心肺停止の前に「意識がなくなる」様になっています。つまり臨死期において肉体的苦しみを経験することはできない様になっていたのです。恰も、手術時にお腹にメスを立てるのは想像するだけでも痛そうですが、私の経験でも全く痛くはありませんでした。と言うより、知らないうちに終わった・・つまり、「分からない」と言うのが正確ですね。(術後はめちゃくちゃ痛かった)
 これはあたかも夜寝るが如くですね。眠る瞬間を覚えているは人いますか?今寝始めた~半分~よし、完全に眠った・・と分かりますか?もし分かったとするなら、それは眠っていないだけですね。毎晩、入眠の瞬間は分からないように、人生最期の死も分からないんですね。相似形なんですよ。
 「人は最後の最期、死ぬときは苦しくない。死ぬ前に意識がなくなるようにしたからだ。だから何も心配はいらない。安心してあなたらしく楽しく生き切りなさい。私はその為に『毎日が一日一生』という予行演習の仕組みを作ったのだよ」と神様は微笑んでいるかのようですね。
 もう一度言います。私たちはすべからく生ききるしか体験できないのです。死は体験できません。だから死ぬのは苦しくないのです。知らないうちに死ぬのです。(だから、葬儀という儀式が必要だとも言えます。葬式は「死人を弔う儀式」と言う意味合いだけではなく、実はあまりに楽に(知らないうちに)移行する(死ぬ)ために、死者へ「あなたは死んだんだよ」と「分からせる儀式」でもあったんですね。きっと。)

死を苦しくする方法
 ただし、図1にあります通り、この意識をなくさない方法があるんです。その多くは医療行為です。特に助かる可能性がないのに行われる医療行為は、実に苦しみを起こす原因となりうるので注意が必要です。「点滴(天敵)、人工呼吸器、ペースメーカー、薬」など、無理に栄養し、心臓を動かし、呼吸させ、脳を覚醒させる行為は、最後の最期に抜けようとしている魂を肉体に押しとどめようとする行為にほかなりません。マラソンで言うと最後の今切らんとするゴールテープを、もう一度1km先に持っていくようなものです。がっくりですよね。そもそも「死なせない医療行為は誰のためか?」ここをしっかり意識下する必要があります。見送る側ではないか?それは愛ではなく、エゴではないか?この死んで欲しくないは自分のためではないか・・気持ちは分かりますが、飽くまでその期間は患者さん本人はしんどく苦しいという事。
 人生はマラソンに例えられますが、私は「駅伝」だと感じています(図2)。勿論その区間を走るのはマラソンと同じです。人生山あり谷ありの紆余曲折の人生もやっとタスキを渡す中継地点へ到着するのです。タスキ(バトン)を渡さんとするその時は周りのギャラリーは手を出さ(せ)ない、タスキ(バトン)を次に渡すと同時に前走者(死に逝く人)をハグしおめでとうと言い奮闘を労うのではないでしょうか。しかし、そのために絶対必要な人・・それがタスキ(バトン)を受け継ぐ人です。次の走者ですね。その次なる走者は前走者(死に逝く人)への声掛けをします。「 ご 苦労さん、あとは任せて」


図2 駅伝(タスキを継ぐ)

 こうして先祖代々受け継がれてきた命のタスキ(バトン)が継がれていく。そのタスキを今、あなたは握っていませんか?

覚悟を深める
 ここでタスキ(バトン)を渡す側にも受け継ぐ側にも必要なもの。それは「覚悟」ですね。実はこの覚悟は生きる上で大事ですが、生きるための「食」ととても関係があります。

 私の実家は「禅宗で臨済宗」ですが、この臨済禅での 食じき作法さほうの中に「生きる覚悟」があると私は感じています。それが五観の偈です。以下にご紹介しましょう。(以下はネットから)

以下五観の偈の解説
 一つには功の多少を計り、彼の来処を量る
  この食事ができるまでに、どれだけの多くの人々の労力や自然の恵みがあったかを考え、感謝することです。
 二つには己が徳行の、全欠を忖って供に応ず
  自分がこの食事をいただくに値する行いをしてきたか反省し、至らない点を戒めることです。
 三つには心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす
  心を清らかに保ち、過ちを避けるために、貪欲(むさぼり)、瞋恚(いかり)、愚痴(おろかさ)という「三毒」を戒めることです。
 四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり
  食事は身体を養い、健康を保つための良薬であると捉えることです。
 五つには成道の為の故に、今此の食を受く
  仏の道を実践し悟りを開くために、この食事をありがたくいただくことです。

六観の偈とは(提案)
 私は個人的に毎朝の儀式として五体投地を108回とその後の読経(開経偈、懺悔文、摩訶般若波羅蜜多心経、舎利礼文、金剛薩埵)そして五観の偈を読ませていただきます。いずれも覚悟を深める行だと思って毎日取り組ませていただいています。最近はこの五観の偈に新しく一文を加えました。勝手に自分で作り勝手に詠んで自分の覚悟の文として刻みたく思っています。

 「六つには人、其の生の終を覚る時は 感謝を懐きて食を断つべし」


 沢山の在宅での看取りを通して、本当に最後の最期は死に逝く人は分かります。そう悟ったら、食べないのです。そう決めるのです。私はこれが「覚悟」だと思っています。
 座禅断食を行うにあたって、たった3日間ですが断食して座禅します。当院でも「死ぬまでに一度は座禅断食」をお勧めしています。それは、きっと文章で読んでも理解はできますが、腹に落ちません。座禅断食は「味」のようなものです。どれだけ美味しそうなお菓子も見て説明を聞くことで分かりますが、食べないと味は分かりません。 座禅断食をするとたった3日間ですが兎に角よく眠れます。栄養を入れないと体は重要な生命維持臓器(心・肺・腎・肝・脾の五臓)に血液を優先するため、脳や筋肉など不必要な場所にはカットするんですね。つまり最後動けないので動かない筋骨格系はカット、死の不安も余分なので脳もカット=眠くなる。合理的です。死ぬ前は、食べられなくなります。誰もが必ず断食状態へ入りますから、いかにその状態が眠いかを体感するんですね。古来点滴など医療行為のなかった時代から、先祖はこうして食べられなくなって、眠るように死んでいきました。眠るので「意識が無くなります」。ここで感謝の思いを抱くことが私は最も安楽に逝けるのではないかと思っています。
 どこへ逝くのか?それが安楽の極み、つまり極楽ですね。
 だから、毎日六観の偈を唱えて、年に数回ですが、座禅断食を行って死の予行演習をするんですね。
 私たちの人生は最期死ぬ瞬間は苦しくありません。
 だから安心下さい。


図3 「からだで悟る!」

 しかし、最後の最期は逝く人は「ありがとう、あとは頼んだよ」と言うけじめ、見送る側も「ありがとう、あとは任せて」とタスキ(バトン)を繋いでいくのです。それが今でもいいように、いつも覚悟を持って生きるために私は毎日読経と五体投地を行い六観の偈を唱えています。
 こうして、最後はタスキ(バトン)を渡して去りたいと思っています。

*最近、「からだで悟る!」という臨済宗僧侶野口法蔵師の本が出版されました(図3)。この本は素晴らしいを超えて、すざましい本です。ぜひ一読お勧めいたします。楽しいですよ。
**最近葬儀社さん(一般財団法人 東海冠婚葬祭産業振興センター)から、まさに在宅での看取りについて、私の取り組みを取材いただきました。実に熱心に取材いただき、とても素
晴らしい内容のビデオが完成しました。タイトルも「生ききる」です。

 以下にそのビデオのURLとQRコードを記載しますので、30分ほどですが、よろしかったらご覧くださいませ。今回の通信には書き切らなかった諸々のテーマについての私の考えをご紹介させて頂きました。
 皆さんにとって、人生の最期をあなたらしく生ききるためのヒントになれば望外の喜びです。

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